石塔めぐり(1)石造物を見る私の“スタンス”

こんにちは、翼石材の企画担当、高橋です。
この「石塔めぐり」では、私が石塔の制作にあたって調査してきた各地の石造物をご紹介します。今回はまず、私が石造物を見るときの“スタンス”について書かせていただこうと思います。

石でつくられた古い遺品を指す言葉には、「石造物」のほかにも「石造美術」「石造遺品」「石造文化財」などがあります。
特に一般的なのは「石造物」と「石造美術」でしょうか。
たとえば古い五輪塔がどこかのお寺にあったとして、それは「石造物」とも「石造美術」とも呼ばれます。

時々「石造物のなかには石造美術と、そうではないものとがあるの?」と人に聞かれます。
「石造美術」というからには美術品として価値があるものだけを指し、価値のないものは単に「石造物」と呼ぶのではないか……と誤解されるようです。

確かに芸術的な観点から石造物(=石でつくられた古い遺品)を評価しようとすると、美術としてすぐれたものと、そうでないものとに分けられるのかもしれません。
けれど、私は芸術に詳しいわけでもないのでえらそうなことはいえませんが、少なくとも「石造美術」という造語を広めた故・川勝政太郎氏は、石造遺品全般を「総括的に石造美術と称する」と定義づけています。

ここで少し、川勝政太郎博士のことを書かせてください。
川勝博士は、石造美術=石造物を愛する者にとっては忘れてならない存在です。
日本の古い石造遺品を系統立てて研究した先駆者であり、氏が研究の便宜上のため分類した層塔、宝塔、多宝塔、宝篋印塔、五輪塔などの石造品25種目は、現在も最も一般的な分類方法として広く使われています。

「石造美術」という言葉は昭和8年(1933)発行の天沼俊一監修、川勝政太郎解説の『京都美術大観 石造美術』(東方書院)で初めて使われました。
そしてのちの著書『石造美術入門』(社会思想社)に、川勝博士は石造美術の範囲について次のように書いているのです。

《要するに、飛鳥時代から江戸時代に至る歴史時代の、石を材料として作られた遺品で、その形が人工的に作られたものを指すが、自然石であってもその石面になんらかの形態彫刻を加えたものもふくめる、ということになる。》
《もともと仏教文化遺品は、信仰の上の必要から作られたもので、鑑賞的な美術品ではないが、人間は本質的に美術的なものを作りたいという意欲を持っているので、石造遺品にあっても、造形の上に、また 装飾の上に、多少にかかわら ず美術的意志が働いている。中には美術品とはいえないものもあるにしても、いちおう総括的に石造美術と称するのである。》

この話は次回も続きます。