石造物オタクが制作者になるまで(1)

こんにちは、翼石材の企画担当、高橋です。

前回のブログにも書きましたが、[世伝石塔(せいでんせきとう)]シリーズに希少価値を見い出してくれる人が増えたのは近年のことで、ほんの3~4年前までは、ほとんど理解されることはありませんでした。

私の“石造物オタク”は、恥ずかしながら自他ともに認めるところです。
中世以前の石造物のよさなら、何時間でも語り続けます。

とはいえ[世伝石塔]シリーズをスタートさせる前は、仕事としての“お墓づくり”と、自分の趣味嗜好である“石造物オタク”の部分とが結びつくことになるとは思っていませんでした。

[世伝石塔]シリーズを生むきっかけは、2009年秋、あるお施主様との出会いがもたらしてくれました。
その方は、40歳代の女性でした。
ご主人が他界されてお墓をつくることになり、4~5軒の石材店を回ってお墓の現物やカタログを見たが、気に入るものがまだ見つからなくて困っている、とのことでした。

4~5軒もの石材店へわざわざ足を運び、それでも「これといった、ピンとくるお墓が見つからない」と言われるのです。
きっと理想とするお墓のイメージや、お墓に求める精神的な何かが存在するのだろうと思いました。でもお施主様自身が、その“イメージ”や“精神的な何か”をまだ見つけられずにいたのでしょう。
私は手元にあるお墓のカタログや写真集を引っ張り出し、それを見たお施主様の感想をうかがいながら、最もふさわしいと思われるお墓の形を一緒に探しました。

「磨き仕上げでないほうがいい」「ありきたりな形は避けたいから、デザイン墓にしようか」といった細かいご希望を聞きましたが、すべてをクリアするような提案内容がなかなか思いつきません。
手持ちの“札”も尽きたころ、ふと思い立って、
「ちなみに、これが私の好きなお墓の形なんです」
と鎌倉時代の宝塔数基の写真をお見せしました。

お施主様はそれらを見入ったあと、
「こんな形もいいですね」
と言われました。
その言葉が心から吐露されたように聞こえたので、私は調子に乗って、宝塔の意味や歴史、現代の機械生産のお墓にはない手加工品の素晴らしさなどを説明しました。
その時点では、それがこれからつくるお墓の形として採用されるとは想像しませんでしたが、自分がいいと思っているものを気に入ってくれる人に出会えて、単純に嬉しくなりました。
私の周りにはそれまで、中世石造物への感動や憧れを共有してくれる相手がいませんでした。