石造物オタクが制作者になるまで(2)

こんにちは、翼石材の企画担当、高橋です。
今回は前回の続きです。

私の話にひとつひとつ納得してくださった様子のお施主様は、最後に、
「でもこれ、うちのような一般家庭のお墓にしてよろしいんでしょうか。お坊さんとか、お寺関係の方しか建てられないものではないのですか?」
とお尋ねになりました。

そのお施主様に限らず現代人の多くが、お寺で見るような古い宝塔や宝篋印塔などの石塔と、自分たちが建てるお墓とは別物だと考えているのではないでしょうか。
その方も和墓なら墓地でよく見かける機械加工の角柱塔や磨き仕上げの五輪塔ぐらいしか選択肢はないと思い、「それなら和墓よりも、自分の好みを反映できるデザイン墓にしたほうがいいのではないか」と考えられたようです。

私も、そのお気持ちは理解できました。
現在つくられている和墓のなかには五輪塔や宝篋印塔もありますが、正直、それらを見て「いい」と思ったことがありません。

私はお施主様に、宝塔をはじめ石塔をお墓や供養塔に用いるのは、過去、仏教関係者に限らなかったことをご説明しました。
そもそも個人や両親のお墓に石塔を建てる習慣が一般化したのは早くとも室町時代以降で、それまでは土を塚状に盛り上げたり、付近の自然石を積み上げたりして埋葬場所の目印にする程度だったといわれています。
現代のように和墓、洋墓、デザイン墓、自然石や石以外の素材を用いたお墓などさまざまな形態が存在し、また、お墓自体をつくらずに散骨や手元供養を選ぶ人もいる時代にあっては、宝塔など石塔をお墓にするとき中世の形を選ぶことも、あるひとつの形態=デザインを選ぶことと解釈できるはずです。

私がそんなことをお話しすると、同意してくださったお施主様は、
「では、このようなお墓をつくってください」
とお決めになりました。
選ばれたのは、愛媛県の満願寺に建つ宝塔の写真でした。

中世以前の石造物は普通、所在する寺社や土地の名を冠して通称に用います。
それらはとても数が少ないため、「1ヵ所に複数の古くていい宝塔があり、どれを指しているか特定できない」というようなケースは滅多にないからです。
たとえば上記の宝塔は、満願寺では七重石塔2基と合わせて「平実盛供養塔」としていますが、石造物として見た場合「満願寺宝塔」というのが通称です。

満願寺宝塔は、私も以前から大好きな宝塔でした。
基礎が低いのと繰形座は地方色で、基礎上端に見事な反花座が配されています。
ほかの部分も繊細な意匠をもちながら、全体的にはどっしりとした安定感があります。
刻銘はありませんが、鎌倉後期の作とされています。

この宝塔を手本にお墓をつくれるのかと思うと、心は100%、喜びでいっぱいでした。