石塔めぐり(2) 続・石造物を見る私の“スタンス”

こんにちは、翼石材の企画担当、高橋です。
今回は、故・川勝政太郎氏がつくった「石造美術」という造語についての続きです。

川勝博士は同じ『石造美術入門』(社会思想社)のなかで、石造美術の研究と鑑賞について次のようにも書かれています。

《石造美術そのものの美術工芸史的な研究ばかりでなく、いろいろの面からの研究もできる。それらの遺品は私たちの祖先の信仰上の遺産であるから、石造美術にあらわされた信仰の歴史をさぐることも、そのひとつである。高僧や上流 社会を中心とした仏教信仰の歴史は、文献によって研究されるが、文献にのせられていない中級社会や庶民の信仰が、石造美術遺品を通じて知られる。
研究は全国的に目をくばる必要性があるが、また一地方だけの石造美術の地方史的な研究も行なうべきである。地方史は文献だけが資料ではない。文献のない地方でも、時代の古い新しいを問わなければ、石造美術遺品は多かれ少なかれ あるにちがいない。それらは、その地方の文化史・信仰史などにつながる大切な資料なのである。》
《石造美術は郷土のかくれた歴史を語る遺物であるし、その土地の祖先の信仰心のこもった遺産なのである。》

なぜ、こんなに長々と引用させてもらったかというと、ここに、石造美術=石造物を見るときに必要な精神的立ち位置の重要性、のようなものがきちんと説明されているのではないかと感じるからです。

「美術的に優れた遺品か、そうでないか」という尺度が存在する一方で、「美術的な価値はさておき、昔の人が信仰の対象にしたものなら、それだけで大事な遺品である」という考え方もあるのです。
川勝博士は後者の立場に身をおき、「日本の歴史と信仰を物語る石造遺品は、おしなべて“石造美術”である」といっているのではないでしょうか。

たとえば、古い宝篋印塔の屋根だけがどこかにあったとします。
石造物のある一部分だけが残っているときは「残欠(ざんけつ)」という言い方をするのですが、完存品でない残欠は、美術品として語られることはほとんどありません。
しかし、昔の人が手を合わせた信仰の対象物として見ると、完存品であろうと残欠であろうと、貴重な石造遺品であることにまったく変わりはないのです。

《石塔の残欠といえども、おろそかにできないというべきである》

この言葉で、私に今のようなスタンス・考え方をもたらしてくれたのは故・田岡香逸氏の著書『近江の石造美術』(民俗文化研究会刊行)です。
私にとっては川勝博士と同じように、もしかしたらそれ以上に尊敬してやまない先達ですが、田岡氏についてはまた別の機会に熱く語りたいと思います。

話をもとに戻しましょう。
川勝政太郎博士も述べられたように、石造美術=石造物のほとんどは祈りの対象、つまり信仰の対象物です。
それを忘れて石造物を語ることはできませんし、ましてや、それらに連なる現代の宝塔、宝篋印塔、五輪塔などをつくることはできない、と私は考えています。

ですから私がこのブログで紹介していく石造物は、石造物辞典などに掲載されているようないわゆる「名作」とは異なる部分があるかもしれません。
なぜその石造物に惹かれたかの理由もできるだけわかっていただけるように説明を試みますので、ある石造物オタクの“好きなもの語り”としてお読みくだされば幸いです。

では次回より、少しずつ、私の好きな石造物たちを紹介していきたいと思います。