石塔めぐり(4) 続・広瀬一石彫成五輪塔
こんにちは、翼石材の企画担当、高橋です。
今回は、鳥取県倉吉市広瀬ヒイデにある「広瀬一石彫成五輪塔(ひろせいっせきちょうせいごりんとう)」についての続きです。
広瀬一石彫成五輪塔は、県道38号線沿いに車を止めて、少し山道を登ったところにあります。
この五輪塔の所有者の方だと思いますが、どなたかが大事に管理されていますので、とても見学しやすかったです。
感謝ですね。
ここでワンポイントですが、石造物の多くは、管理者のご厚意で見学しやすい環境に整備されています。
見学するときはぜひ、草抜きやお掃除など、ちょっとしたお手伝いをしていただければと思います。
実測や拓本をとるなど直接石造物に触れるような場合は、事前に管理者へ連絡して了解を得ます。
もちろん作業に際しても、細心の配慮を心がけてください。
さて、「一石彫成五輪塔(いっせきちょうせいごりんとう)」という名称は、石造物に興味のある方でもあまり耳慣れないものかもしれません。
似たような名称に「一石五輪塔」があり、こちらはわりと頻繁に登場します。
室町時代になると仏教が庶民層にも浸透し、造塔供養を行なう人が増えました。
以前より広い階層の人々が石塔をあつらえるようになった結果、部分的に簡略化した小型の塔が普及します。
「簡略化」というのは、五輪塔は昔から地輪、水輪、火輪、空風輪(風輪と空輪が一体化したもの)という4つの部材をつくって組み立てるのが一般的ですが、それを最初から一石(1つの石)でつくってしまうんですね。
このような小型塔を「一石五輪塔」と呼びます。
それに対し、形は同じ一石でも、室町時代より前につくられたものは「一石彫成五輪塔」と呼んで区別します。
よく知られるものでは、大分県臼杵市にある「中尾五輪塔」2基が一石彫成五輪塔です。
こちらも今後、この「石塔めぐり」でご紹介したいと思います。
広瀬一石彫成五輪塔は、総高が121cm。
おそらく四尺塔としてつくられたものだと思います。
地輪が非常に低いのは、古式塔に見られる特徴です。
水輪は下膨れで、こちらも古式塔に多いといわれます。
火輪は幅が狭く、軒の反りは真反り(しんぞり)。
空風輪は火輪に食い込む形の噛み合わせ式で、塔に対して異常に大きいのが特徴です。
そして、この塔の最も特徴的な見どころといえるのが、地輪上端に古式の素弁八葉蓮華文を線刻していることです。
私はこの塔以外では見たことがありません。
造立年代は平安時代後期にさかのぼる、歴史的にも貴重な石造五輪塔の遺品と認められています。
と、私は学者さんではありませんので塔の説明はこのくらいにさせていただき、あとは石屋目線でお伝えします。
平安時代後期ということは、今から800年以上も前に造立されたことになりますよね。
そんな塔が今も信仰の対象であるということが、私は何よりも素晴らしいことだと思います。
もっと言えば、800年以上も前から続く文化がそこにあり、今日まで脈々と受け継がれてきたのですから。
今や日本の葬送文化の形は、多種多様な時代となりました。
どの世界もそうでしょうが、新しく登場したものが注目を浴び、古いものは忘れ去られていきます。
でも、古いもののなかにも忘れてはならない何か、忘れてはもったいない何か、がひそんでいることもあるのではないでしょうか。
何が良くて、何が悪いとは一概に言えないけれども、このような石塔たちを見つめ直すことで、私たち日本人が祖先から受け継いできた“信仰”や“文化”の形に触れられる、と私は感じています。
こんな感じで、石塔めぐりを続けていこうと思います。